なぜ就職活動はつらいのか?暴走する『超能力主義』の弊害

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「内定をとるために、企業の求めている人材を確認しよう!」と思って、志望企業の『求める人材』を調べると、『コミュニケーション能力の高い人材』『フロンティア精神』のような要項がならんでいるものです。

けれど、正直いって、「コミュニケーション能力」という求める人材像って、曖昧すぎますよね。プレゼン能力なのか、人付き合いのスキルなのか、文章能力なのか…これでは全くわかりません。

なぜ企業はこんな役に立たない募集要項を並べているのでしょうか?

企業の『超能力主義』重視

企業の求める「コミュ力」「フロンティア精神」「チャレンジ精神」「柔軟性」「創造性」のような、不定形の情動全体にかかわる能力のことを、東京大学の本田由紀教授は「超能力主義(ハイパー・メリトクラシー)」と名づけました。

メリトクラシー(能力主義)は、たとえば、ペーパーテストのように、一定の基準における能力を重視する考え方のことです。ペーパーテストや技能試験をクリアすれば、その人は的確な人材とされます。

一方で、ハイパー・メリトクラシー(超能力主義)は、その人の人間の根幹にかかわる部分までを俎上のせます。たとえば、「コミュ力」「創造性」「地頭」は、その人の人間性にかかわる能力ですよね。

このような『人間力』としか定義しようのない曖昧な能力を重視するのがハイパー・メリトクラシーです。

面接評価シートで面接官のチェックポイントを確認しよう

面接をする際、面接官は面接評価シートを元に就活生を評価しています。面接評価シートには、質問に対する受け答えなどの内容をチェックする項目があるのです。企業や職種によって設定されている項目は異なりますが、参考にすることで面接官視点を把握することができます。

面接官は、どのような就活生を評価するのでしょうか。
面接評価シート」を無料でダウンロードして、面接前に最終調整をしたり、就活生同士の練習で活用したりしましょう。

超能力主義は人を不幸にする

就活がつらいのは、このハイパー・メリトクラシーに企業の採用がかたよっているからです。

まず、ハイパー・メリトクラシーによる評価は、基準が曖昧です。「コミュ力があるかどうか」「創造性があるかどうか」の客観的な基準など、存在しません。だから、面接官の好みによって、就活生はふりまわされてしまいます。

ただ、ハイパー・メリトクラシーは『人間力』とも呼べるような、その人の全人格にかかわる能力に見えます。

だから、本当は面接官の好みで決まっているにすぎないのに、「コミュニケーションが苦手な私は社会に求められていないのかな…」と自分の全人格を否定するようになってしまうのです。面接で落ちた理由は教えてもらえませんから、疑心暗鬼になり、自分のすべてがダメなように思えてきます。

さらに、ハイパー・メリトクラシーはどうやって身につければいいか、わかりずらい。大学3年になるころには、個人の生き方で大きな差がついているように見えるので、今更取り繕えないような気がしてきます。

なんとなく自分に足りないことはわかっていても、どうすればいいかわからない…これほど人を落ち込ませるものもないでしょう。

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能力主義の空手形

特に、就活で落ち込むのは高学歴の学生が多い。これはメリトクラシーで成功すると信じていたのに、それを否定されるからでしょう。メリトクラシー、つまり、ペーパーテストで頑張って、いい大学に入れば、いい企業に入れる…これが日本の私たちの一種の常識でした。高学歴の学生も当然それを期待しています。

しかし、ペーパーテストで手に入るのは、せいぜい企業にエントリーシートで落とされない権利ぐらいです。その後は、「コミュ力」のような人間力で評価されます。

かつてはペーパーテストにおける成功で保証されていたことがなくなる。いわば空手形をつかまされたような気分になり、高学歴の学生は就活うつになりやすいのです。

では、自分に『人間力』が欠けていると感じてしまった時、どうすればいいのでしょうか?

『演じる』という解決策

このように、超能力主義は全人格的な評価に結びついて、その基準からはずれる人に無力感を与えてしまいます。就活に失敗して落ち込む人が多いのも、「コミュ力がない=社会人になる資格が無い自分」と錯覚してしまうからです。

では、どうすればいいのか?コミュ力をスキルとして捉えましょう。『場の空気を読んで、適切にその場にふさわしい自分を演じること』はスキルです。

現在の就職活動はそのスキルを過度に重視するから、上手く出来なければ、失敗するかもしれない。しかし、それは、その人の全人格的な評価とは関係がないのです。

『演じるスキル』と考えると、いろいろ楽になります。たとえば、就職活動の面接で明るい学生を『演じている』と考えれば、「これは本当の自分じゃない。」とヤキモキする必要もなくなります。

「できるだけ有能に見える自分を演出する、演じる」と状況を再解釈しましょう。就職活動で失敗したなら、「演じるスキル」を磨けばいいのです。あなたが就職に失敗するのは、役者として下手だからであって、あなたの人格に問題があるわけではない。

そう考えると、「就職での失敗=自分の人格の否定」に結びつかず、演じるスキルを向上させるという生産的な方向に考えが向きます。

「思わずとりたくなる人材」を演じましょう。

参考書

本記事を書く際に参考にした書籍です。どちらも学生の雇用問題を考える際に役に立つ視点を提供してくれます

軋む社会---教育・仕事・若者の現在 (河出文庫)
本田 由紀
河出書房新社
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若者をとりまく雇用問題をまとめて論じている良書です。やりがいを餌に若者を労働的に搾取する『やりが搾取』や、仕事のやりがいが人生の目的と一体化して過酷な労働をしてしまう『自己実現型ワーカホリック』など、若者の雇用問題を考える上で、大事な視点を提供してくれます。

演劇界の巨人、平田オリザのコミュニケーション論。コミュニケーション能力が全人格的な評価に結びついている現状に警鐘をならし、『技能としてのコミュ力』の身につけ方を論じています。適切な『コミュ力』は演技のように、学べば社会生活に必要なレベルにまで向上する、と平田オリザはいいます。『コミュ力がない俺はダメ人間なんだ…』と落ち込む前に読みたい本です。(売り切れになっているときが多いですが、kindle版はすぐに購入出来ます)